- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
今日も氏真さんの一首を。 卯月廿三日帰路此程知人道迄送る 立ふれて只大方に思ひしもかへりみやこの空そ過うき(1‐290) 天正三年(1575)四月二十三日、対武田戦後詰のため、初上洛後約三ヶ月滞在した京都を惜しみつつ去った。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
今日も氏真さんの一首を。 思ひ置友の有せはいかならむ留ぬ都もはなれ難さを(1-289) 天正三年(1575)四月二十二日、上洛中の島津家久が飛鳥井邸での蹴鞠を見物したが氏真は下向準備で不参加だったらしい。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
氏真さんの一首を。 三州境さはかしきと云人あるを聞てい そき下るへきとて 忘れぬを家つとにせむ帰るさの花の都の面影の空(1-288) 天正三年(1575)四月二十一日三好討伐から信長帰洛直後氏真の「後詰」が決まったようだ。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
家康命日も氏真さんの一首を。 かもの祭ありしとて葵を人の送る 契ありて今日のみあれにあふひよりそのかみ山の末や憑(たの)まん(1―280) 天正三年(1575)四月十七日中の午の日、葵祭に先立つ御阿礼神事があったようだ。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
#武田信玄 命日も氏真さんの一首を。 海近きあたりにしはしすみて それそとて心とゝむる色もなし哀おほろの宿の月影(6―166) 信玄に駿河を逐われた後戦い続け天正十年(1582)武田家は滅亡。だが信長は駿河を家康に与えた。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
#武田信玄 命日も実澄さんの一首も。 ワカナラヌ世ヲアラソフモ文ノ道ニ クラキ(玄)ココロ(信)ノタ(田)ケキ武士(武)(希―16) 永禄年(1569)閏五月、#今川氏真 非難の祝詞を強要された恨みを詠み、帰洛後信長のブレーンになった。 #三条西実澄 #評伝三条西実澄クラキ意のタケキ武士
氏真さんの二首目。 彼寺に立寄て 短夜にいかて伏見のかり枕空行月をさすひまそなき(1‐270) 天正三年(1575)四月七日、宇治から伏見へ。指月庵(詳細不明)に宿を借りたが指月の教えに思いをいたす余裕はなかったという。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
今日は氏真さんの二首を。 平等院庭杜若あれたる中にさけり 池水もすみにしまゝの庭の面の昔へたてぬ杜若かな(1‐266) 天正三年(1575)四月七日、信長詣で翌日八幡から宇治に向かうが平等院は荒廃していたという。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
今日も氏真さんの一首を。 信長和泉筋出陣八幡にて見物 みかりせし跡や鳥羽田の面影に賤か車そ行廻りける(1-257) 天正三年(1575)四月六日、見物というが信長の出陣見舞のため八幡まで赴いたので面白くなかったのだろう。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
四月四日は氏真さんの一首、はないです。代わりに『#マロの戦国』より信長との蹴鞠エピソードを。 天正三年(1575)四月四日、前日蹴鞠披露の翌日は #織田信長 も氏真たちと蹴鞠したそうです。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ ncode.syosetu.com/n5953di/30/
三条西殿実澄めされて参す二十当座人数十七人 寄世祝 うつし見よ四方の境もわたつみの波風たゝぬ御代の鏡を(1‐254)他一首 同日晩は於飛鳥井殿鞠見物 天正三年(1575)四月三日、信長への蹴鞠披露を見物とごまかしたらしい。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
今日も氏真さんの一首を。 一枝さき出る花を遅桜と云夕は雨になりぬ 雨霞む入相遠き山端にすみ昇たる郭公哉(1‐251) 天正三年(1575)四月二日。「清水辺に出こゝかしこ」過ごしたか。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
今日も氏真さんの一首を。 今日は衣かへの日なれ共都さへ其姿みへす ぬきかへぬ卯月のけふのあさ衣さりとて花のうつり香もなし(1-246) 天正三年(1575)上洛中の四月一日、古式に則って衣替えしない都人に興醒めした。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
『#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ』は #今川氏真 詠草を徹底解読しその驚くべき実像と心情を解明!これを読まずして氏真を語ることなかれ! #織田信長、#徳川家康、家康正室 #築山殿、#三条西実澄 との関係が分かります。 #今川復権 amazon.co.jp/%E8%A9%95%E4%B…
氏真さんの一首を。 伊勢不断桜年内花を見しに三月の比と をるとてみれは又盛也 雪なから青葉も花もとしこえておもへは春は遅桜哉(6―169) 天正十年(1582)三月末、白子山観音寺にて。「すてやらぬ望」はかなわず帰洛。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
今日は氏真さんの二首を。 海近きあたりにしはしすみて それそとて心とゝむる色もなし哀おほろの宿の月影(6―166) 天正十年(1582)三月信長の武田討滅に協力し駿府以東に進軍したようだが駿河国主復帰の夢はかなわなかった。 #今川氏真 #今川復権 #評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ
今日は実澄さんの一首も。 ワカナラヌ世ヲアラソフモ文ノ道ニ クラキ(玄)ココロ(信)ノタ(田)ケキ武士(武)(希―16) 永禄年(1569)閏五月、東濃大円寺で信玄嫌いの希庵玄密の漢詩に和して。#今川氏真 非難の祝詞を強要した #武田信玄 を咎めた。 #三条西実澄 #評伝三条西実澄クラキ意のタケキ武士
今日は #武田信玄 の一首を。 さそなけふ神もうくらん咲花の 手向にかふる君か言の葉(詞―11) 永禄十二年(1569)「弥生のつごもり」#三条西実澄 に #今川氏真 非難の祝詞と和歌奉納を強要した時に添えた。高い教養と今川歌壇への屈折した心情がうかがえる。 #評伝三条西実澄クラキ意のタケキ武士
/『#天下統一』武将紹介/ #今川氏真 今川氏12代当主。 桶狭間の戦いで倒れた父 #今川義元 の跡を継ぐが、配下の離反が相次ぎ、勢力は衰退。徳川、武田の両家から攻められて所領を失い、戦国大名としての今川氏は滅亡した。… pic.twitter.com/B2JtS6aGDU