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『種子島家譜』によると、文化9年(1812年)に伊能忠敬が種子島の測量を行っている。薩摩藩からも人が派遣され、この中に御記録奉行の「橋口今彦」の名もある。たぶん橋口兼古かな? #三国名勝図会 #橋口兼古 #伊能忠敬
ふひとべのべ@benobe5858
『種子島家譜』によると、文政7年(1824年)に「橋口今彦」が種子島の山水・神社仏閣・名所などの調査をしたという。肩書は「名勝誌再選方掛町奉行」。『三国名勝図会』編纂のためだろう。橋口今彦は #橋口兼古 または #橋口兼柄 だと思われる。 #三国名勝図会 #伴姓橋口氏 rekishikomugae.net/entry/2023/09/…
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『三国名勝図会』の編纂を手掛けた橋口兼古・橋口兼柄は、たぶん伴姓橋口氏かな、と。系図ははっきりしないけど。名前に「兼」の字も入っているし。 #橋口兼古 #橋口兼柄 #伴氏 #肝付氏 #三国名勝図会 twitter.com/benobe5858/sta…
ふひとべのべ@benobe5858
『三国名勝図会』の編纂は島津斉興が命じたもの。橋口兼古を総裁とし、五代秀堯を副裁として始まった。事業半ばで橋口兼古が没し、五代秀堯が総裁を引き継いだ。ちなみに五代秀堯の次男が、五代友厚である。 #三国名勝図会 #橋口兼古 #五代秀堯 #島津斉興 #薩摩藩 rekishikomugae.net/entry/2022/01/…