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その後、明和2(1765)年に、本願寺第17代法如宗主によって再興がはかられ、やがて元の北山養源寺に勝る本堂を始めとする寺院建築が完成したのですが、その8年後の安永2(1773)年に、その本堂が類焼してしまい、ただちに仮の仏殿を設営しました。
返信先:@ze05kq2Gu1PljeK高野山は、フランスの方が本当によくいらっしゃいます。 彼らの目からすると、仏像や寺院建築と日本庭園から、自分達と異なる木の文化や、異教徒の信仰世界の真ん中に体ごと入る感覚が受けているのだと思います。フランスの方には日本を楽しんで頂ければ嬉しく思います。
J-STAGE Articles - 北海道における越後大工の活動 doi.org/10.3130/aija.6… 高龍寺の建築が気になって調べてたら出てきた。越後出身の大工が函館および道内の寺院建築や初期洋風建築に携わっていたという報告です x.com/Denhachiro/sta…
函館でもう1か所外せない寺院が、魚見坂にある高龍寺。開基は寛永10年(1633)という函館最古の寺院です。伽藍の優れた近代和風建築が一括して登録有形文化財になっています。明治44年(1911)に建てられた山門は見事な彫刻で埋め尽くされた八脚門。越後の匠たちが手がけました。 #函館市 #近代和風建築
返信先:@tabichiki_candy他1人検索より横入り御免致します。聖徳太子さんについては古くから太子信仰がありますが、中でも大陸から曲尺などを用いた最新の技術を将来して寺院建築に寄与したということで、大工さんをはじめとする様々な職業の方々から職能神という形で信仰の対象として尊崇されています。ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA…
日本では珍しい中国明朝様式🐲👲を創建当時からそのまま伝える寺院建築🇨🇳🐼境内随所に中国からの歴史を感じることが出来ます🐲江戸時代に様々なものを日本に伝えた隠元禅師、見事に中国と日本の文化が融合した独特な魅力満載の黄檗宗大本山萬福寺😍✨ 勤白大衆生死事大無常迅速各宜醒覚慎勿放逸 pic.twitter.com/8SY9PHY7P5
上越市寺町にある国指定文化財「浄興寺」にて、2024年4月27日(土)・28日(日)に「浄興寺de縁日」が開催されます。このイベントは、新潟県内の寺院建築では最大でかつ最古の真宗本堂と、およそ一万坪あ... joetsu-itoigawa-myoko.goguynet.jp/2024/04/18/jyo…
返信先:@SakuraBunnyy他13人四天王寺、法隆寺など、当時の日本文化の建築水準とは天と地程もかけ離れた複雑な構造の壮大華麗極まる大寺院を朝鮮から寺院建築の専門家招いてつくった。朝鮮が日本に仏教を教えてあげたんだよw pic.twitter.com/ArsklyG7QW
【夕焼け真福寺。】 夕日に萌える真福寺。 自然も建築物も赤と青のグラデーションが美しい。 #真言宗 #智山派 #お寺 #寺院建築 ___________ #神田陸建築設計事務所 #新潟 #建築家 #設計事務所 #店舗設計 #住宅設計 ___________ #セーブザチルドレン #子供達の未来へ #Peace pic.twitter.com/MRXvjpE765
日本の伝統的建築物を神社建築、寺院建築、寝殿造り・書院造り、茶室、城、民家に分け、それぞれについて特徴や...『図説 日本建築の歴史: 寺院・神社と住宅 (...』玉井哲雄 ☆4 booklog.jp/users/shino052… #booklog #草紫庵之本棚
隣にお寺があるのを見てははぁ神仏分離…と思っていたのだけれど 横に回ってみると弁財天区画が神社として更に切り分けられてた 人家の隙間の参道を抜けて鳥居を潜ったら寺院建築という不思議な雰囲気 pic.twitter.com/WXq5ZHChop
大火の多さから鉄筋コンクリート造の寺院建築を生み出した函館の街。高龍寺でも火災への対策が講じられました。それは、街側に長大な煉瓦造の防火塀を築くという大胆な策。東側の高さ7mを誇る塀は明治40年(1907)の大火を機に建設されました。イギリス積とフランス積が併用されているのも見どころです。 pic.twitter.com/boJGz2bR3W
#PR ■ 国内旅行おすすめ 温泉・ホテル・旅館・観光 ■ 遍照尊院 古来の寺院建築の中に民芸風の味わいを加味した客室、古代桧・高野槙の大浴場等でごゆっくりお過ごし下さい 南海高野山ケーブル 高野山駅より車で5分 和歌山県 高野山・橋本 hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/g0190dd8.i…
本願寺に続く、函館で2番目のRC造寺院建築が称名寺の本堂。開港時にはイギリス・フランスの領事館として使用され、新選組の屯所にもなった歴史ある寺院ですが、度重なる大火により相次いで類焼。不燃化を目指して大正15年(1926)に起工し、昭和4年(1929)に竣工しました。 #函館市 #近代和風建築 pic.twitter.com/ETgY4uaQuB
全国でも特に火災の多い都市だった函館は、コンクリート建築における先進地。それを象徴するのが大谷派本願寺函館別院です。日本初のRC造の寺院建築で、大正4年(1915)に落成。設計は寺院建築の第一人者である九世伊藤平左衛門で、施工は木田保造が請け負いました。 #函館市 #近代和風建築 #重要文化財
全国でも特に火災の多い都市だった函館は、コンクリート建築における先進地。それを象徴するのが大谷派本願寺函館別院です。日本初のRC造の寺院建築で、大正4年(1915)に落成。設計は寺院建築の第一人者である九世伊藤平左衛門で、施工は木田保造が請け負いました。 #函館市 #近代和風建築 #重要文化財 pic.twitter.com/Z5yETbIxPv
一方で大火の直後から復興事業が始まり、物凄い勢いで街の復興が進んでいきました。防火帯の整備や建築の不燃化も推進され、現在の函館へ繋がる都市景観に。 ちなみに、市立函館博物館にて函館大火に関する収蔵資料展が10月まで開催中です。これから函館へ行かれる方は是非。 hakohaku.com/exhibition/hak…
延床600平米の堂々たる近代和風建築で、コンクリートを用いて寺院建築の意匠を精緻に造り出しています。内部は折上格天井で、前方には花頭窓を象った祭壇。この裏手の地下に、身元不明の679名が無縁仏として納骨されています。ちなみに、無縁仏を慰霊する地蔵菩薩は青森の方が彫られたそう。 pic.twitter.com/XXWUuida7H
4/7(日)は、建築家、建築史家の伊東忠太(いとうちゅうた)さんの御命日。[法隆寺建築論]を発表され、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示されました。作品には、日泰寺仏舎利奉安塔、築地本願寺、最乗寺真殿・本堂、新勝寺太子堂・開山堂、普光寺毘沙門堂、總持寺大僧堂などがあります。
天白は植田にある全久寺。 “コンクリ造の寺院建築”というナイスな本をきっかけに知ったのだけど外はもちろん内部が凄かった。 かつては外に水を張り、その揺らぎを光と共に本堂へ取り入れていたそうで私はとても痺れました。 本によると梶田英夫設計、熊谷組施工、昭和48年竣工とのこと。 pic.twitter.com/jyuZsQ4YRw
帰国してバタバタと過ごしながら、暇があったら、こういう本をちらちら見て、どこ行こうかと考えている。全くバカではなかろうか。 この本は古建築の見方がすごくよくわかる本です。 海野聡 奈良で学ぶ 寺院建築入門 – 集英社新書 shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1102-d/ @Shueishashinshoより
タイ旅行で巡りたい美しい寺院建築 bit.ly/4axI6fI 人気の旅先タイで見られる、美しく個性的な寺院を観光の定番からSNS映えスポットまで幅広く紹介。 pic.twitter.com/N50KRchYze
真庭市の文化財に指定されてる妙円寺の本堂と番神堂。お寺の境内にお社があるのは別に珍しくはないけど、重層寺院建築と社殿建築が渡り廊下で繋がってるのはちょっと珍しい気がする。 pic.twitter.com/sfuQFGlTLP
六根山見た時『永平寺じゃん!』って叫んだんだけど、おそらくこの手の禅宗寺院建築が六根山のモチーフなんだろうな。 所々、六根山の攻略ルートみたいな景色が楽しめます。参拝料は大人700円、子供300円。 景色を楽しむお散歩におすすめ。
【日本珍スポット100景・過去記事】 埼玉県と中国山西省の友好締結10周年を記念して1992年にオープンした神怡館。館内は中国のお宝がぎっしり! 唐代寺院建築風の建物ではよくコスプレイ is.gd/PjIKoR
3月 「奈良で学ぶ 寺院建築入門」海野聡 「イミダス 現代の視点2021」イミダス編集部 前者は関西を離れて早数年なので忘れないように時々京都奈良にまつわるものを 後者はコロナ禍について 卵焼き作れなかったので4月は作る 江戸城未経験なので行く 城毎月行ってる! 読書もこのペース 引越頑張る
返信先:@wormman4946他1人いわゆる錣葺(しころぶき)の再現だと思います 古い寺院建築に見られる屋根の形で、入母屋造りに使われることが多いのですが、小規模な流造だと同じように二段のものがあります まあ錣葺というより真っすぐな板で流造を再現しようとしてたまたま似ただけかもしれませんがw tokyo-jinjacho.or.jp/goshahou/honde…
Aihole, Karnataka 初期のチャールキヤ朝は今のカルナータカ州の北のはずれアイホーレで興る。地の利が悪いため山に囲まれたバダミに6世紀に遷都されるが、その後は寺院建築のための芸術都市として栄えたらしい。5-7世紀頃の古い南インド様式の寺院遺跡が点在する。 #インド太郎 #インド史 #遺跡巡り pic.twitter.com/PEdNfORsfr
この空間と空気をいつまでも味わっていたいと思いました☺️。旧・古市遊郭の「麻吉旅館」、地形の高低差が生んだ懸造りです。寺院建築の懸造りは色々と見たことありますが、ここは絶品です。人生の中で最高級の懸造りでした・・・。死ぬまでに一度は泊まってみたいなぁ。 #麻吉旅館 #懸造り… pic.twitter.com/o9DZy0M3mi
神仏習合。睦仁天皇殺し李家長州PEDOイボ侍の偽天皇「廃仏毀釈」は誤り。古代の伊勢神宮神宝錦に鴟尾。裏付ける現物出土。鳥取市蔵見3号墳出土鴟尾付陶棺。古墳時代末期に棺に寺院建築の鴟尾。大仙陵古墳被葬者倭王済の息子倭王興はソグド仏教導入に注力。興福寺の名の由来は倭王興の冥福を願う寺。 pic.twitter.com/A1QlsxwAl8
日本建築史の講義で、韓国のやり方(扇垂木)は中国と同じと習ったんですけど、実際のところ日本のやり方(平行垂木)も中国南部の古いやり方で、ベトナムで見た宮殿や寺院建築はみんな日本と同じでした。同じベトナムでも、ホイアンの福建会館みたいに中国系の施設の建物は隅扇なのが面白いですね。 pic.twitter.com/v7sGDx0T9c