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#アツベツ古書の街 新札幌まで行ってきました!古本市。タモリとジャズや、村上龍池澤夏樹対談や、友達が読んでた早川義夫が気になったり、ツイッター哲学に心惹かれたり、誰かに貸して戻ってきてない鷺沢萠買い戻したり。大収穫でした。 pic.twitter.com/PqBYiAf57c
友人に深沢潮さんの本の話をしたら、彼女は鷺沢萠さんの本の話をし始め、どちらも名前をうろ覚えで同じ人だと思い込み、後日お互いに本を持ち寄って別人と判明したのだけど、あながち出鱈目な勘違いではなかったのかもしれない。
作家の鷺沢萠さんが亡くなり20年。祖母が在日コリアンと知って理解を深め、彼らを主人公にした小説を書いてきた鷺沢さんに宛て、両親が在日コリアンで、鷺沢さんの作品に触発されたという作家、深沢潮さんが寄せた手紙には、川崎の崔江以子さんとの交流もつづられています。tokyo-np.co.jp/article/322028
小山内さんや利重剛、ついでに鷺沢萠からも、人格形成において、とても影響を受けた。 非常に残念だ。 「金八先生」の脚本家、小山内美江子さん死去…94歳 : 読売新聞オンライン yomiuri.co.jp/culture/tv/202…
息子は利重剛 故 鷺沢萠の離婚した人です。 その後、彼は元プリンセスプリンセスのキーボードの女性と再婚しました。 鷺沢萠の元姑の小山内さん ご冥福をお祈りします。
【訃報】『3年B組金八先生』など手掛ける、脚本家の小山内美江子さん死去 94歳 news.livedoor.com/article/detail… 長男で俳優の利重剛が「老衰による穏やかな逝去でした」と伝えた。小山内さんはNHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』、大河ドラマ『徳川家康』『翔ぶが如く』などの名作ドラマで知られる。
「在日コリアンを、自分のことを書こうと思えた」没後20年、作家・鷺沢萠さんに宛てた深沢潮さんの手紙:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/322028 いや、あれから20年も経っていたなんて… 鷺沢さんが留学した時代と比べると日韓関係も随分変わった部分もあるね。
鷺沢萠/著 『ビューティフル・ネーム(新潮文庫)』 | 新潮社 shinchosha.co.jp/ebook/E640121/ #虎に翼 「ほんとうの名前」が話題になる中、とっても読んでほしい、おススメの作品
<今まで生で講談を受けた作家> ・村上春樹さん(神戸の震災のん) ・田辺聖子さん(大阪文学学校のん) ・宮本輝さん(関西大学のん) ・渡辺淳一さん(読書会のん) ・島田雅彦さん(近畿大学のん) ・平野啓一郎さん(京都大学のん) ・めめちゃん(鷺沢萠、芦屋大学のん)…
#群ようこ #この先には何がある 本文に宇多田ヒカルのFirst Love をよく聴いている、という部分があってびっくりした。私も最近よく聴いていて今朝運転するときも聴いた。 あの頃、鷺沢萠さんのこともびっくりしたなあと思い出した。鷺沢さん原田宗典さんとも仲良かったイメージ。エッセイで。
返信先:@luxurysoapkfその元彼さん、誠実で優しい方の印象を、瞬間的に持ちました。 涙が出ない、で思い出しましたが、小説家の、故、鷺沢萠(さぎさわめぐむ)さんの小説(タイトルは失念)の中に、 「本当に悲しい時は、涙が出ないものである」(たしか葬儀の場面の描写だった) と書いてあったのを思い出しました。
私の話(鷺沢萠) 鷺沢萠という人は「人間が好き」なのだと思う。他にも何冊か読んだけれど、全力で他者とぶつかったことのある人にしか書けない描写がたくさん出てきたから、そういう結論に至った。本来、小説はそういう人が書くべきものなのだと思う。そして、そんな人が自殺したという事実が悲しい。 pic.twitter.com/hGtpyWhsMn
「在日コリアンを、自分のことを書こうと思えた」没後20年、作家・鷺沢萠さんに宛てた深沢潮さんの手紙:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/322028
ご本人が亡くなっても、その言葉が後の世代にこうして伝わって支えになるっているの、本懐でしょうね 「在日コリアンを、自分のことを書こうと思えた」没後20年、作家・鷺沢萠さんに宛てた深沢潮さんの手紙:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/322028
今夜はブギーバックの令和バージョンかぁ 嬉しいなあ あの時代からこの曲、ずーっとずーっと好きなんだよね 何度も言ってるけど、鷺沢萠さんの『少年たちの終わらない夜』とか『スタイリッシュ・キッズ』とかと空気感が似てると思う この作品もお気に入り どれも『その時代と空間の空気』を感じる
返信先:@Mayaya1986誰が解説したか?で決めます。 鷺沢萠さんの「愛してる」(角川文庫)の解説が北方謙三さんで本編も解説も素晴らしいのでおススメします。 バブル前の六本木のディスコ界隈の空気を写しとった傑作です。
「在日コリアンを、自分のことを書こうと思えた」没後20年、作家・鷺沢萠さんに宛てた深沢潮さんの手紙:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/322028
『あなたの紡いだ言葉にとても助けられました。』 うんうん、わかる。本との出会いってあるよね。 「在日コリアンを、自分のことを書こうと思えた」没後20年、作家・鷺沢萠さんに宛てた深沢潮さんの手紙:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/322028
涙が出る 4月は悲しい月でもある あれから20年がたつ 「在日コリアンを、自分のことを書こうと思えた」没後20年、作家・鷺沢萠さんに宛てた深沢潮さんの手紙:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/322028
「在日コリアンを、自分のことを書こうと思えた」没後20年、作家・鷺沢萠さんに宛てた深沢潮さんの手紙:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/322028
“韓国で「君はこの国を好きか」と訊(き)かれて、答えを保留にしたくなる、悩める在日コリアンも多いでしょう。” 「在日コリアンを、自分のことを書こうと思えた」没後20年、作家・鷺沢萠さんに宛てた深沢潮さんの手紙:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/322028
「在日コリアンを、自分のことを書こうと思えた」没後20年、作家・鷺沢萠さんに宛てた深沢潮さんの手紙:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/322028
当然だけど、 春、桜を見ると悲しみが湧く人は私だけではないのだな。 「在日コリアンを、自分のことを書こうと思えた」没後20年、作家・鷺沢萠さんに宛てた深沢潮さんの手紙:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/322028
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返信先:@DaegyoSeo鷺沢萠さんが亡くなって20年になるのですね。亡くなった時にすごくショックを受けた覚えがあります。あの時代よりも、ずっと良くなったところと悪くなったところが混在している韓国との関係。理解の程度は深くなり、愛着や尊敬は増しているのに、国が馬鹿ばっかりやっているような気がしてなりません
「在日コリアンを、自分のことを書こうと思えた」没後20年、作家・鷺沢萠さんに宛てた深沢潮さんの手紙:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/322028