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今宵は『#評伝三条西実澄クラキ意のタケキ武士』でも取り上げた #三条西実澄#武田信玄 の対照的な世界観について連投。 永禄十二年(1569)三月、信玄支配下の実澄は富士山本宮浅間大社に「闘ってこそ漢(をとこ)」と言わんばかりの祝詞を奉納(続

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側近=今川家陰の帝王 嵯峨良蒼樹@SagaraSouju

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「地神五代の始、天照す御む神、弓箭兵仗を以て素烏尊の悪き振舞を退け給はり、闘諍の義此より始まれり、況末代澆季に及て、万国力を以て争ふ、寧ろ人として、争そわさらむや」神々すら争ったから末世では万人の万人に対する闘争は当然。信玄の諫言を聞かない #今川氏真 は滅んで当然という内容(続

側近=今川家陰の帝王 嵯峨良蒼樹@SagaraSouju

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