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返信先:@mizukamiseishu実澄さん、大叔父ですが親顕さん誕生はるか前に死去。通勝パパには色々指導してますね。 今川vs北畠、忘れてましたが国永の年代和歌抄も言及してるので稲本紀昭論文を読みます。桶狭間合戦と結びつける論者もいるようで。 国永さんと実澄さんの親交も『評伝 #三条西実澄』に書きました😃
返信先:@mizukamiseishu数年前 #三条西実澄 研究の一環で北畠氏を調べてこういう記述を見かけ、興味を持ちました。 加地『伊勢北畠一族』187~189頁 政郷の跡を継いだ具方の代には伊勢神宮外宮山田郷(伊勢市)と内宮宇治郷(伊勢市)の抗争が激化した。 大和国についてもこういう記述が(続
返信先:@naruseyanoken1#細川幽斎 は勝ち馬に乗った訳ではないです。将軍義昭挙兵は武田信玄の死去の前。藤孝は、信長による「公家一統之政道」を支援する歌道の師 #三条西実澄 と共に、和睦に努力しました。家康は、冷泉家の公家復帰や幽斎から皇族への古今伝授を仲介した事も高評価。 幽斎は政道や歌道を心がけたのです。
旧暦八月十五日なので実澄さんの小田原での名月🎑歌会で『心珠詠草』作者が詠んだ一首を再掲。 桶狭間合戦後に #今川氏真 と #北条氏康 の同盟再確認の訪問?だが謙信 越山で氏真は西方確保で後手に回ってしまう。 #三条西実澄 #武田信玄 #評伝三条西実澄クラキ意のタケキ武士 x.com/SagaraSouju/st…
今日は『心珠詠草』作者相玉長伝の一首を。 永禄三年、三条大納言殿御旅亭名月御会三首 に、見月思盈虧 人の身に思ひしれやと月もかつ みちてはかくる光みすらん(心―282) 永禄三年(1560)八月十五夜、実澄の小田原での歌会で、桶狭間合戦を意識しつつ詠まれたようだ。 #三条西実澄