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トラック島には沖縄出身の漁師が働きに来ていたが、戦局の悪化とともに現地で応召され、一つ星の兵に。 ダイナマイトで海に魚を獲る漁法も用いたが、爆発で手を吹き飛ばす者もいた。 水木しげるの漫画のような光景は、祖父のすぐそばでも起きていたのかもしれない。 #トラック島 #松本第150連隊 pic.x.com/smWDgNgWCq
諏訪湖での飛び込み訓練、松本城の堀を漕いだあの日々── あれはすべて、エンダービー沖の海原へと続いていたのかもしれない。 もう、運命は決まっていたのだ。 祖父はその道を、黙って歩いた。 #松本第150連隊 #エンダービー沖海戦
「全員、救命胴衣着用!」「前方に不明機!」 砲声、対空射撃、機銃掃射、そして「弾をよこせ」の声。 飛び交う怒号と鉄の音の中、兵たちは次々に海へ飛び込んだ。 祖父もその音の中にいて、海へ身を投じた。 死を覚悟したのか、生を願ったのか。 #松本第150連隊 #トラック島 pic.x.com/eqXJshPDxt
命令は、三語だけだった。 「起床」「出動」「午前2時集合完了」 行き先は知らされない。 松本第150連隊、トラック島出動の夜。 帯剣(銃剣)のぶつかる音だけが、兵舎に響いていた。 #松本第150連隊 #トラック島 pic.x.com/SzB5xEqswX
昭和16年、松本第50連隊の銃剣術の教練。 上山田でも銃剣術の大会が開かれていた。 だが昭和18年、松本第150連隊では堆肥を積む訓練。 祖父は「格闘術を教練したことはなかった」と言っていた。 戦う術は、生きる術へと変わっていった。 #銃剣術 #松本第150連隊 #祖父の記憶 pic.x.com/5G4YNf78Gg
合同演習の日、木橋を渡る松本第150連隊。その下で見上げる女学生たち。 松本第150連隊に属していた祖父は言った。 「演習の合間に見えるあの子らが、唯一の楽しみだった」 今も安曇野市有明には、兵舎門の石が静かに残る。 忘れられた青春が、ここにある。 #安曇野 #松本第150連隊 #昭和の記憶 pic.x.com/XrCRyxUfe8