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逃げ若原作勢がアニメで死ぬほど楽しみにしてるとこ➡️「遠からん者は音にも聞け!近くば寄って目にも見よ!我が祖は桓武の帝が後胤上総介平直方が曾孫にして源頼朝公の御舅北條四郎時政!!(中略)十四代執権北条高時が嫡子!我こそは相模の次郎…名を北条時行とぞ申し侍る!!!」 これ
時宗大河、博多から帰った頼綱くんがみんなと鎌倉入りして時宗様に褒めてもらうぞとソワソワソワソワしながら執権館で時宗の姿見つけた瞬間「時宗様!!!」って笑顔になるも当の時宗様は頼綱くんの後ろにいる目を負傷した弟宗政くんしか目に入らず頼綱ガン無視で宗政に駆け寄ってくの何回見ても笑う
籔本勝治著『吾妻鏡』を読了。鎌倉幕府の"正史"、公式記録として編纂された書であるが、すべて史実を追うものではなく、源頼朝と北条泰時以降の得宗執権家の政権維持の正統性を強調するための改変や虚構化が行われてきた…。新書とはいえ、史書の読み解き方について分かりやすく具体的に学べる良書だ。
またアホの維新信者連中が支持者同し傷の舐め合いをやってますな。今問題になってるのはそれを何故執権者側ではなく第三者に明らかにさせなかったのか?と言うこと。橋下さん千回以上言及してるのに信者連中は右から左やからな。笑 x.com/kyomama373/sta…
元局長の処分理由ちゃんと見た? 公務員失格と言われても仕方ないことしてるんだよ💦 怪文書撒いたことだけで処分されたのではないよ💦 人事部で個人情報自宅に持ち帰って異動先のPCに保存て怖すぎるやろ😱
立正安国論』(りっしょうあんこくろん)は日蓮が執筆し、文応元年7月16日(ユリウス暦1260年8月24日、グレゴリオ暦1260年8月31日[1])に時の最高権力者にして先の執権(得宗)である北条時頼(鎌倉幕府第5代執権)に提出した文書。 ほれよく読め。 ちゃんと歴史上実在する事実何だよ😂 続く
泰時「本人もこのように反省しております。許してあげましょう」 執権殿に楯突いた御家人「この通りです(震えながら平伏)」 小四郎「わかった」 大江殿(背後で冷たい目) 語り「その夜、ひとりの御家人が死んだ」 泰時「許すと仰せになられたのに!」 小四郎「私は『わかった』と言っただけだ(角度)」
執権北条氏ブランドは完全に権威持つ名門として確立する前に護良親王殿下の令旨や反幕運動で弾け飛んだ印象。皮肉にも足利が義時・泰時親子の執権政治を足利兄弟がいきなり降ってきた天下に対応するため「建武式目」で正当化した結果その後の足利の内紛込みで滅亡後に完成したというか。
さすがに全部、空で暗記されてる方は 少ないでしょう。 歴代 鎌倉幕府執権の、9代目以降が怪しいわ俺… 歴代天皇は覚えた、足利将軍も徳川将軍行けるけど 総理大臣は前後ヒントくれんと危ないかも…とくに第1次伊藤〜第1次桂までの間…
転売品対策 入場のピーするときに 「第◯代 天皇」 「第◯代 鎌倉幕府執権」 「第◯代 足利将軍」 「第◯代 徳川将軍」 「第◯代 内閣総理大臣」 …の中から、ランダムで出題、空で答えさせる …何人入られるかな?球場の中…🤣 俺も勉強しとこ📝🧐
十分に思索あそばされたものである。この民衆塗炭の苦しみは、ことごとく、破仏法たる邪宗教より生じていることを主張してやまなかったのである。 ゆえに、正しき仏法をもって政治の根幹となすべしとて、文応元年に、時の執権・北条時頼に諫言したのが第一回である。いうまでもなく、政治というものは
返信先:@Bando0817源平合戦で壇ノ浦で散る平家は何回か放送されてきましたが、この太平記の鎌倉炎上も滅びの美学が随所に描かれています。長崎円喜、ラスボス感あります。影の執権、鎌倉のドン、ここに散る。
前RT見た時、思わず「…2代執権殿?」と思ったのですが、毒の影響で床に倒れ伏さずにはいられない状況はまた違うかなーとか思って、計画のために無関係の人間を殺すとんでもなさを一時忘れさせるぐらいの「容疑者Xの献身」の堤真一かなあ、とか思った。最近だと「地面師たち」の山本耕史かもしれん。
“「党」と呼ばれる組織は、その力の背景を「愛国心」や「忠誠心」と呼び、その権力を統治している国家内で唯一他から干渉を受けずに行使できる人物を「主席」「委員長」「書記長」「指導者」「執権」「領袖」「核心」等と呼ぶ” kaiunmanzoku.hatenablog.com/entry/2023/11/…
初回の長崎円喜と足利貞氏のやりとり 慇懃無礼な態度で相対する円喜 貞氏が席を立とうとすると一転、執権の名代として高圧的な態度に あくまで淡々と臨む貞氏 鎌倉幕府という舞台を上手く利用してそれぞれの立場と個性を自然に描写するセンスね #大河ドラマ太平記の素晴らしさを語るコーナー
楽天ブックス新書 第21位 『吾妻鏡ー鎌倉幕府「正史」の虚実』 鎌倉幕府草創から中期までの事績を記した『吾妻鏡』。源頼朝挙兵に至る経緯、二代将軍頼家の暗愚、三代執権北条泰時の武勇と仁徳ほか、小説やド #新書 #おすすめ #新刊 hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/g00q0729.o…
鎌倉時代初期に、夫をたきつけて権力を握ろうとしたしたたかな初代執権の妻であった人が、まさか鎌倉時代終盤には儚げで薄幸な白拍子だったとは、ですよね。(時代と放送年が逆なのでややこしですが) #大河ドラマ太平記の素晴らしさを語るコーナー #太平記 #鎌倉殿の13人
鎌倉時代がイマイチ好きになれなかったのは御家人の一家に過ぎない北条家が牽制を振るっていたのが理解できなかったのだけど、さすがにその家来の長崎家が権力持つようになればもたないよね😅ってのがよくわかる。「円喜、これでよろしいか」と自害する最後の執権高時演じる鶴太郎の怪演は見どころ x.com/dairokuten__/s…
九州のある武家において、父がそう認めた以上、父の決定は絶対であるという。 「親権=所有権」を絶対化してこれに干渉しないのが幕府の原則であるから、「法治」である以上、執権・北条泰時といえどもこれは如何ともしがたい。 『日本的革命の哲学』山本七平(著)より引用。
最終的にはプロレタリアート執権すら綱領から削除し、不破は天皇と一緒に食事をした。 機関紙に元号まで記載するほど急速に右ウイングしている代々木。 【元極左が語る】日本共産党の保有する軍事力 公安監視対象シリーズ【解説】 youtu.be/0ZJzyDodbXg?si… @YouTubeより
暴力革命とかプロレタリアート独裁、マルクス・レーニン主義…。言葉だけ聞くと大衆からするとポジティブなイメージがあまり無いからか、その言葉を代々木は綱領から削除した。代々木は暴力革命そのものを否定し、プロレタリアート独裁は「執権」に、マルクス・レーニン主義は科学的社会主義としている
通りすがった御家人たちが、もう前の執権殿のお顔すら忘れてしまったわ笑笑みたいな話をしているのを聞いた太郎くんが「私も、もう父の声が朧げなのです。忘れて行くと言うことは、前に進めと父が言っているのだと、初は言うのですが……」って平六くんに相談しに行って「そうなんじゃねえか」とか