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2023/10/2(月) 国立講談三夜~初日@国立演芸場 貞司 木村の梅 貞鏡 名月若松城 陽子 応挙の幽霊画 貞心 中村仲蔵 松鯉 水戸黄門記〜出世の高松 仲入り 南鱗 無名の碑の由来 琴調 赤穂義士銘々伝 赤垣源蔵 徳利の別れ pic.twitter.com/rDwfyT6tae
この写真でわかるだろうか.この先の左右が,江戸時代に整備された下野(しもつけ)街道の宿場町,大内宿です.当時の街並みが味わえるらしいが,今回は遠目に見ただけ. 下野街道(会津西街道)は,会津の若松城下から下野の今市に至るそうです.地図で確認したら,山また山のすごい道程でした. pic.twitter.com/CkTUIQdNge
斎藤一さんの息子、藤田勉さんの記録を国立公文書館でダウンロードした(二次利用は申請不要と確認済) 「私の父は鳥羽伏見会津の戦に参加し、母は若松城に30日間籠城し今の看護婦のような仕事をし、共に弾丸の下を潜った者なので私は幼少の時から戦争を基準として育てられ」 この時点で相当強い(続 pic.twitter.com/yIH5HGfGH5
8ターン目、越後方面の討伐も完了し、新政府軍が四方から若松城を叩き始めました。守りに易い若松城ですが、それでも1ターンに3つ程度はユニットが飛ばされます。この状況ではゲーム終了まで耐えられない、ということで競技終了となりました。 お疲れ様でした、楽しゅうございました。 pic.twitter.com/UcWNiDWzW5
関東の平地で圧力をかけつつ、沼田方面から迂回して若松城へ迫ります。 数で劣る同盟軍は多方面から攻められると、各戦線の部隊が薄くなり、どこかしらで突破されてしまいます。 あと越後方面も攻勢を開始しました。 pic.twitter.com/kmPzgdBuNd
まずは鶴ヶ城(若松城) 幕末全然詳しくなかったけど、戊辰戦争の激戦地だったんだね 復元された天守閣の中は博物館と展望台になっていて、プロジェクションマッピングを使った戦況の説明があったりしてなかなか面白かった pic.twitter.com/dMQgxEhTd6
【福島】鶴ヶ城 若松城なら知ってるんだけど…名前変わった? って思ったら、昔の人が鶴ヶ城と呼んでいたらしい。 中の作りは立派なもんで、特に幕末の歴史を詳しく解説してて、涙が溢れそうになるほど。 白虎隊の他に朱雀、青龍、玄武もあったのか…知らなかった。。 #東北地方旅行 pic.twitter.com/ExsIADAE8h
鶴ヶ城(若松城)へやってきました! 現状、東北に現存する天守閣としては最大級のお城です🏯 戊辰戦争にて、政府軍の攻撃から1ヶ月守り抜いた堅城でもあります これにて終了、あとは帰宅のみ… pic.twitter.com/ush0IW4PA7
おつかれさまでーす😇 弊社スタッフが #会津若松 の #鶴ヶ城 に行ってきたみたいです🏯 #白虎隊 で有名なお城と #赤べこ でツーショット👺 帰りには安達太良SAで #ウルトラマン と大量の自販機を🧃 会津若松は他にもたくさんいいところがありますよ~! #企業公式がお疲れ様を言い合う #若松城 pic.twitter.com/7z1eqgOeDU
加藤明成 1592〜1661淡路国(現兵庫県) 嘉明の嫡男。陸奥国会津藩(現福島県会津若松市)藩主。父の死後、若松城を改修。一歩金を好み一歩殿と呼ばれた。後に、家老と対立し、会津騒動(1627)で改易された。子・明友が石見国吉永藩(現島根県太田市)、近江国水口藩(現滋賀県甲賀市)を立藩し、幕末まで続いた pic.twitter.com/WSKKgeZiEK
[観光業] キャッチフレーズは「うつくしま、ふくしま。」天守閣の瓦が赤く復元された若松城〔鶴ヶ城〕と飯盛山の会津若松, 四〇〇〇余りの蔵が並ぶ喜多方, pic.twitter.com/X7yG0hEBmW
いよいよ会津若松城の写真も残り少なくなった。走長屋にはかつこいい蒲生氏郷公の鎧で、イケメン氏郷公と写真を撮れる顔出しパネルが 桜の馬場は会津藩の馬の稽古が行われていた。この北側には家老などの武家屋敷がずらっと並んでいたそうだ 若松城独特の敵を迎え撃つ為の北出丸の大腰掛(雁木) pic.twitter.com/dOs97Yo6ny
当時のように復元がされた走長屋では、鉄砲狭間や、石落としを人形を使って分かりやすく紹介をしていた 新政府の大砲が日に2500発も城内に打ち込まれながらも天守が持ちこたえたのは、松山城を築城した加藤嘉明、明成親子が若松城も砲撃も意識して強靭な壁とした為らしい pic.twitter.com/8od50tRXa1
おはようございます。最上階からは若松城の赤瓦も間近でみれます。瓦を雪などから守る為に釉薬を使用し赤いそうです 天守から続くのは走長屋、鉄門、奥に干飯櫓へ この階段は武者走り、その向こうに太鼓門、椿坂が続きます 正面の白い棒のスグ右側にあるのが飯盛山で、ここが白虎隊の最期の地です pic.twitter.com/KL4kAZ5r9e
会津藩の歴史人物の紹介がされていた。京都守護職となった事から会津戦争に巻き込まれた松平容保公、家老の西郷頼母の屋敷では母や、妻、娘、妹ら一族21名が集団自決をした 大河ドラマの主人公ともなった新島八重は男装をして若松城で果敢に戦い、家族と共に籠城をした大山捨松は僅か8才だった pic.twitter.com/DQLrKfv6SI
いよいよ若松城天守に入る。初っ端、見事な石垣が現れるが、籠城時に塩や保存食材が貯蔵されていた塩蔵だ 天守台自体は蒲生氏郷のものだが、こちらの内部は慶長の大地震で崩れて加藤明成が積み直したものだ 新政府軍の砲撃にも耐え、一ヶ月も籠城をした若松城も遂に降伏、後に建物は取り壊された pic.twitter.com/3WJX9nERXY
14世紀に蘆名氏がこの地に館を建てたのが若松城(鶴ヶ城)の始まりだそうだ。戦国になると伊達政宗により葦名氏は滅ぼされる 秀吉の命令により蒲生氏郷が治めそれまでの黒川という名を、若松に改め、近世城郭を建造、城下も整備をした。後に加藤明成が地震で倒壊した天守を層塔型天守に組み直した pic.twitter.com/YIVZBHwA5A
北出丸から本丸へと繋がる椿坂は、この坂を制するものは城を制するとも言われる要所です。いよいよ若松城(鶴ヶ城)の天守が見えてきました 太鼓門(大手門)には多門櫓が建てられ、大太鼓を置き合図として鳴らされました 会津藩の祖、保科正之は徳川秀忠の子なので、後に松平姓と三つ葉葵を許された pic.twitter.com/lbQJNYQn3q
昨夜は池袋演芸場で琴調先生の独演会。新真打わん丈師の披露口上で盛んに名前が出た三遊亭ふう丈さんもレギュラー出演。強情っぱり2人が老いても意気盛んな「名月若松城」が心地よく、珍しく古典落語かと思ったらそれをラディカルにぶちこわすふう丈さんの「ターミネーター初天神」に爆笑する。 pic.twitter.com/yYKto3Qfup
5月27日宝井琴調封印切の会 琴調先生芸術選奨文部科学大臣賞受賞祝いの会の意味もありおめでたい演目が。凌天さんお竹如来、琴鶴先生が紀国屋文左衛門を。琴調先生はキリッと鋳掛松。仲入り後は講談協会かっぽれ連の踊りで、ステテコとかっぽれ華やかに。寄席文字実演後、琴調先生の名月若松城でお開き pic.twitter.com/CkHRdcYx4u
5月27日は宝井琴調封印切の会特別編薫風講談会@池袋演芸場 小じか 道灌 小琴 大久保彦左衛門 筍騒動 ふう丈 ターミネーター初天神 凌天 お竹如来 琴鶴 紀国屋文左衛門 宝の入船 琴調 鋳掛松 仲入り 琴鶴・凌天・小琴・一記・おりびあ 踊ステテコ・かっぽれ 右樂・紅樂 寄席文字 琴調 名月若松城 pic.twitter.com/W0kUD4ULUa
宝井琴調 封印切の会@池袋演芸場 小じか―道灌 小琴―大久保彦左衛門 筍騒動 ふう丈―ターミネーター初天神 凌天―お竹如来 琴鶴―紀伊国屋文左衛門 宝の入り船 琴調―鋳掛松 琴鶴・凌天・小琴―踊り ステテコ 琴鶴・凌天・一記・小琴・おりびあ―踊り かっぽれ 右楽・紅楽―寄席文字実演 琴調―名月若松城 pic.twitter.com/wUxvOMrBjS
5月27日(月)18:00 池袋演芸場 琴調先生の祝賀講談会㊗️ 「名月若松城」 かっぽれ組もお賑やかに参ります! ( ↓ 踊りの先生を囲んで📸) #落語協会 #講談協会 pic.twitter.com/kamYGiHhbo