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暇つぶしとしての工夫に満ちたその状況の中には、特定の退屈なものなどありはしない。何もかもが面白いものに仕立て上げられている。だから、会話も人々も場所も退屈ではなく、それどころか満足して帰宅したのである。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
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しかし、ひとたびそこに住み始めるなら、毎日の見慣れた風景にいちいち反応したりしない。周囲の環境をシグナルの体系に変換していくとはそういうことである。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
なぜモデルチェンジしなければ買わないし、モデルチェンジすれば買うのか?「モデル」そのものを見ていないからである。モデルチェンジによって退屈をしのぎ、気晴らしを与えられることに慣れきっているからである。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/2Q9TtGL
大義のために死ぬのを羨ましいと思えるのは、暇と退屈に悩まされている人間だということである。食べることに必死の人間は、大義に身を捧げる人間に憧れたりしない。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
決断してしまえば本当に快適である。資格試験の奴隷であることはこの上なく楽だ。しかも、世間からは「一生懸命頑張っているね」と褒めてもらえる。と言うか、周囲は褒める以外にない。そうした在り方を「狂気」といったのだった。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
しかし、ひとたびそこに住み始めるなら、毎日の見慣れた風景にいちいち反応したりしない。周囲の環境をシグナルの体系に変換していくとはそういうことである。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
新しい環境は人に考えることを強いる。そうやって考える中で、人は習慣を創造していく。習慣が獲得されれば、考えて対応するという複雑な過程から解放される。習慣を創造するとは、環境を単純化されたシグナルの体系に変換することだから。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
新しい階級の子供たちは小さい頃から、満足の得られるとうな職業、労働ではなくて楽しみを含んでいるような職業を見つけることの重要性を念入りに教えて込まれている。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
ようやくキュンタの栞を手に入れました 読むのは夏休みの電車旅の時まで楽しみに 新潮文庫の100冊も読了本が多くて何を買うか悩む 新刊を多めでお願いしたいです #百年の孤独 #ガブリエル・ガルシア=マルケス #暇と退屈の倫理学 #國分功一郎 #ひとりでカラカサさしてゆく #江國香織 #キュンタ
この本をゆっくり読み終えるだけの時間を取れたことが、入院の唯一のメリットだった。決断の奴隷として生きてきたし、暫くはそうなんだろうけど、その状態を構造的に捉えられることでここまで救われるんだと。ほんま読書すげーって感じ。 #暇と退屈の倫理学 pic.twitter.com/VuYh4ukuZu
なぜ盲導犬を訓練によって一人前に仕立て上げることはこれほど難しいのか?それは、その犬が生きる環世界の中に、犬の利益になるシグナルではなくて、盲人の利益になるシグナルを組み込まなければならないからである。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受け取ることができるようになる。人間であることを楽しむことで、動物になることを待ち構えることができるようになる。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
本当に恐ろしいのは、「なんとなく退屈だ」という声を聞き続けることなのである。私たちが日常の仕事の奴隷になるのは「なんとなく退屈だ」という深い退屈から逃げるためだ。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
「君は、自分が求めているものを手に入れたとしても幸福にはならないよ」などと訳知り顔で人に指摘して回るのも同じく気晴らしなのだ。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
苦しむことはもちろん苦しい。しかし、自分を行為に駆り立ててくれる動機がないこと、それはもっと苦しいのだ。何をしてよいのかわからないというこの退屈の苦しみ。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
絵が動いて見えるためには1コマを写した後にシャッターを閉じ、閉じている間にコマを移動し、移動し終わったら再びシャッターを開けて次の一コマを写すという作業を繰り返さなければならない。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
同じことを同じように説明しても、誰しもが同じことを同じように理解できるわけではない。だから人は、様々なものを理解していくために、自分なりの理解の仕方を見つけていかなければならない。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
問題はそこで追求される「個性」が一体なんなのか誰にもわからないということである。したがって、「個性」は決して完成しない。つまり、消費によって「個性」を追い求めるとき、人が満足に到達することがない。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/2Q9TtGL
つまり、必要なものが必要な分しかない状態では、人は豊かさを感じることができない。必要を超えた支出があって初めて人は豊かさを感じられるのだ。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
同じことを同じように説明しても、誰しもが同じことを同じように理解できるわけではない。だから人は、様々なものを理解していくために、自分なりの理解の仕方を見つけていかなければならない。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
今日、広告は消費者の「個性」を煽り、消費者が消費によって「個性的」になることを求める。消費者は「個性的」でなければならないという強迫観念を抱く #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとして入ればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/2Q9TtGL
ハイデッガーは、退屈する人間には自由があるのだから、決断によってその自由を発揮せよと言っているのである。退屈はお前に自由を教えている。だから、決断せよ。これがハイデッガーの退屈論の結論である。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
ラッセルによればそうではないのだ。人々の努力によって社会がよりよく,より豊かになると、人はやることがなくなって不幸になるというのだ。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
人間は容易に一つの環世界から離れ、別の環世界へと移動してしまう。一つの環世界に浸っていることができない。おそらくここに、人間が極度に退屈に悩まされる存在であることの理由がある。人間は一つの環世界にとどまっていられないのだ。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
新しい環境は人に考えることを強いる。そうやって考える中で、人は習慣を創造していく。習慣が獲得されれば、考えて対応するという複雑な過程から解放される。習慣を創造するとは、環境を単純化されたシグナルの体系に変換することだから。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
これが消費である。消費者が受け取っているのは、食事という物ではない。その店に付与された観念や意味である。この消費行動において、店は完全に記号になっている。だから消費は終わらない。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ
各コマの停止とスクリーンの暗転が18分の1秒以内に行われると、暗い部分は私たちの目には感じられないのである。逆に言えば、それ以上の時間がかかると映像がちらちらする。 #國分功一郎 #暇と退屈の倫理学 amzn.to/3vVweAQ