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チラシラックを増設! 実はもうひとつあったんです。 近くの小学校の体育館を借りて、ダンススクールが開講したそうです。 チラシをお預かりしたので、弊社チラシの隣に並べました。ご自由にお持ち帰りください♪ 弊社のチラシもどうぞ✨ #川崎市 #川崎区 #KPOPダンス pic.twitter.com/A8t2t5TiX4
こんにちは🐶 浜川崎薬局です! お休みの日に国営ひたち海浜公園に行って来ました🌷 一面青でとても綺麗でした🩵💠 #株式会社わかば #わかば #調剤薬局 #スマートファーマシー #川崎区 #ネモフィラ pic.twitter.com/0qpTWE5pX1
#木下卓球アカデミー #ジュニアコース のレッスンでは 始めと終わりの時間に トレーニングを取り入れています✊🏻 全てのトレーニングに全力で どんな時でも笑顔です🐥☺️ #生徒募集中 #川崎市 #川崎区 #卓球 pic.twitter.com/HAf3np5N1K
教安寺は川崎宿の端にあり、その境目に当たる南西側の道を行くと、横に京浜急行が通るさくら通りに出る! 昔は西から流れてきた二ヶ領用水小土呂堀がここで2本に分水し、1本は小土呂橋近くで新川堀を越え、もう1本は川崎宿の端を流れて小土呂橋交差点の東南側で新川堀に落ちていた!#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/KNDPGv9EJz
新川通りと交わる小土呂橋交差点から旧東海道を南に進み、次に信号のある交差点を右に入れば教安寺! その境内には、江戸中期に生き仏様と敬われた徳本上人の六字名号碑、市内では貴重な江戸時代に鋳造された梵鐘があり、山門前左側には江戸後期に富士講の信者が建てた石灯籠がある!#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/LTmCvX0nY6
ここで旧東海道を少し離れて、新川通りと交わる小土呂橋交差点から東南側にある次の交差点に向かった! 川崎宿の町割り図を参照すると、この付近も宿場町の裏を流れた二ヶ領用水の小土呂堀の一本が新川堀に落ちていた場所だけど、区画が変わっていてこの堀跡も遡ることができない…。#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/nI0nofnysi
新川堀は流れにくかった古川の水を海に流すために江戸のはじめに開削された堀! 北西が上の川崎宿の町割り図には、旧東海道の小土呂橋近くで新川堀を越える二ヶ領用水町田堀の支流、小土呂堀が描かれているので、西の上流側と交差点のある下流側を眺めたけれど、違和感しかないな…。#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/RltF1LGut5
旧東海道砂子交差点のすぐ南にあった佐藤本陣は、川崎宿が最も栄えた頃にあった三つの本陣のうち一番京に近いため、上の本陣と呼ばれた! ここからさらに旧東海道を南に向かえば、新川堀が流れていた新川通りと交わる小土呂橋交差点で、その角には昔の小土呂橋の親柱が置かれている!#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/AM65qwvrea
微高地の砂州を通っている旧東海道の砂子交差点から市役所通りの西方向を見ると、古川という川があった一区画先の銀柳街、銀座街の商店街に向けて、道が下っているのが見えて面白い! ここから旧東海道をさらに南に進むと左側にすぐ、現在はビルが建っている佐藤本陣の跡地が見える!#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/gnc49QzyeQ
砂子一丁目交差点から旧東海道を進むと、市役所通りと交わる砂子交差点の手前には「川崎宿と明治維新」の川崎歴史ガイドのパネルが立ち、川崎宿に訪れた変化を伝えている! また、信号の先の川崎信用金庫の横には「川崎歴史ガイド 東海道と大師道案内図」と書かれた総合案内板がある!#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/h4mkex5cgF
砂子一丁目交差点近くにある川崎歴史ガイドの案内板に描かれた川崎宿の町割り図を改めて眺めると、現在の道路が白抜きで描かれていて面白い! これで万年屋跡地の場所が知れたり、現在の大師道と稲荷横丁の位置関係が見えたり、小土呂橋付近の堀跡の位置を知ったりと得るものが多い!#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/AZrz3KrUGK
川崎宿の町割り図が描かれた川崎歴史ガイドの案内板の先にある砂子(いさご)一丁目交差点は、北西の角に「中の本陣」の、北東の角に「問屋場」の川崎歴史ガイドのパネルが立って川崎宿の歴史を伝えている! ここを西に進むと京急川崎駅で、その先には官営鉄道の初代川崎駅跡地がある!#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/iB5UYq67zq
宗三寺を出て旧東海道を南に進むと、2軒先のビルの前に「川崎宿の由来」と書かれた詳しい案内板が立ち、その先には川崎市内での復活第一号という「丸型ポスト」がある! そこから道が少し左に折れた先には、川崎歴史ガイドパネルの位置を川崎宿の町割り図の中に示した案内板があった!#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/odQaDj46Zq
旧東海道川崎宿を一行寺から南に向かうとすぐ、旧東海道に面して宗三寺がある! 川崎歴史ガイドのパネルや敷地内の案内板を見ると、このお寺はこの付近が河崎庄と呼ばれていた中世前期にあった勝福寺という寺院の後身とみられる宿内一の古刹で、境内には遊女の供養碑があるとのこと!#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/9q349U9OiU
旧東海道から参道だったかと思われる道を進んで訪ねた一行寺の門は、残念ながら閉じられていたけれど、塀の外から見えた案内板を確認して旧東海道に引き返す! その途中に蔵があったので裏も覗いてみたら、入口がなくて不思議に思ったけれど、何と隣接するビルの中に入口があった…。#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/RsnYK2THys
旧東海道から一行寺に向かう道の入口には川崎歴史ガイドのパネルもあり、一行寺は江戸時代の初め、川崎宿の整備が進む頃に開創した寺院で、閻魔信仰で大いに賑わったと記している! そして参道だったかと思われる道を行くと正面に一行寺が現れたが、残念ながら門は閉じられていた…。#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/ismNgkNtnE
旧東海道の田中本陣跡を訪ねた後、東海道川崎宿交差点に引き返すと、角の「菓寮 東照」の建物の脇に、助郷制によって近在の村から徴用された人馬が集められた「助郷会所」の川崎歴史ガイドパネルがあった! また、そのすぐ先の東海道かわさき宿交流館の向かいには一行寺の案内がある!#川崎市 #川崎区 pic.twitter.com/X4fybY6ymm