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#日本史の全体の概観 以上で 「日本史の全体の概観」のハッシュタグでの 解説ツイートを終えます。 世界大戦の悲劇を振り返り, その惨禍の原因や 長年に渡る日本文化に 深く根差していた歴史的背景が 第二次大戦の過ちにつながっていた事を よく理解できたと思います。 これが戦史の俯瞰です。
#日本史の全体の概観 ・豆知識2 国家神道と仏教以外の,他の宗教団体にも 戦争責任が存在する。 「講談社日本百科事典」より: 日本の仏教・キリスト教・神道の ほとんどすべての宗派は戦時中, "国家のための 霊的(=宗教的,神学的)な堡塁"を築くために 1941年に「宗教翼賛会」を結成した。
#日本史の全体の概観 ・豆知識:仏教団体も戦争責任を認めた。 日本の仏教の一宗派で 500万人以上の信者を擁する 真宗・大谷派[おおたには] 1990年,第二次世界大戦後45周年の 「全戦没者追弔法会」で細川宗務総長が 『第二次世界大戦[を遂行するための活動]に 進んで協力した』責任 を認めた。
#日本史の全体の概観 敗戦時の流れ ▶1945年9月26日 マッカーサーとの対話の中で 昭和天皇が自分自身の「戦争責任」を認める。 ▶1946年1月1日 「人間宣言」が発表される。 昭和天皇はもともと自分は神ではないと考えていたが 自分が神ではないことを公式に宣言し『架空なる観念』と述べた。
#日本史の全体の概観 まとめ続: 1931年:満州事変。翌年に日本は満州国を建国 1937年:盧溝橋事件から日中戦争へ。日本は南京を占領。 1939年:ヨーロッパで第二次世界大戦が開戦 1940年:日本は仏領インドシナに侵攻 1941年:日本は米国を襲撃。太平洋戦争の開始 1945年:原爆と敗戦。玉音放送
#日本史の全体の概観 日本史まとめの続き: ▶20世紀初頭 日清戦争(1894), 日露戦争(1904)ののち 第一次世界大戦(1914)を経て恐慌の時代へ。 恐慌を乗り切るために軍部が台頭。 ファシズムのために国家神道が利用される。 そして侵略戦争が正当化される風潮へ。
#日本史の全体の概観 日本史まとめの続き: ▶1868年,王政復古 天皇が権力を取り戻す。 明治政府は,神道を国教とし 国学者・平田篤胤の弟子たちは 明治政府から神祇官に任じられる。 ▶1890年 教育勅語の公布。 教育勅語は 学校教育の基本とされると同時に, 国家神道の「聖典」となった。
#日本史の全体の概観 日本史まとめの続き: ▶9世紀以降 天皇の実権が弱まる ▶12~19世紀 天皇は幕府の征夷大将軍を任ずる立場にあった。 ▶18世紀 本居宣長が古事記(日本の創世神話)を研究。 天皇崇拝の国学が盛んに。 ▶19世紀 本居宣長の弟子である平田篤胤が 復古神道の神学を樹立。
#日本史の全体の概観 ここまでの日本史をまとめ: ▶4~5世紀 大和政権の大君(後の天皇)が権力を持つ ▶6世紀 仏教受け入れ ▶7世紀 大化の改新と壬申の乱で 絶対的な権力を持つ天皇を中心とした 国作りが進む ▶8世紀 天皇の権力を神格化するために 古事記,日本書紀など創作神話が執筆された
#日本史の全体の概観 米国は冷戦に面し,日本を 自国コロニーとして活用する必要があった。 そのためGHQは日本に"秩序"を作ろうとしたが 天皇を処刑したり天皇制を廃止すると 日本国内で「ゲリラ戦になる」と マッカーサーは予測。 その結果GHQは,天皇制を存続させ 日本の秩序を保つ事にした。
#日本史の全体の概観 敗戦時に (1) 天皇制が廃止されなかった理由,そして (2) 昭和天皇が戦犯として処刑されなかった理由 の2つ よく理解できるだろう。 ・米ソ冷戦 ・日本の天皇制が,世界最長の世襲君主制だという歴史的価値 ・日本降伏のきっかけが原爆ではなく天皇の玉音放送であったこと
#日本史の全体の概観 日本の敗戦後, 「昭和天皇を戦犯として扱うべきだ」 という声が上がったが… マッカーサーは断固反対した。 後にこう説明している。 『もし天皇が起訴され 絞首刑にでもなっていたら, 必ずや日本中に軍政を敷かねばならなくなり, おそらくゲリラ戦が起きたであろう。』
#日本史の全体の概観 昭和天皇はラジオで 『堪え難きを堪え,忍び難きを忍』ぶ,と 降伏を発表。 数か月後に英国政府が言明: 『日本を降伏させたのは 原子爆弾ではなく 降伏するようにと国民に命じる天皇の詔書であった。 それが無かったなら,我々は侵攻し 大きな代償を払う事になっただろう。』
#日本史の全体の概観 昭和天皇は,1946年の "人間宣言" で 『天皇をもって現つ御神とし かつ 日本国民をもって他の民族に優越せる民族とする との架空なる観念』を否定。 その後,昭和天皇は皇后に 「以前に比べて何か違っているかな。 今のほうがもっと人間らしく見えるか?」と尋ねた とのこと
#日本史の全体の概観 ファシズム体制は 「天皇は天照大神の子孫で現人神だ」と宣伝教育し 国民もそれを信じ込んでいたが なんと… 当の昭和天皇・本人は 「自分が神格を有する」と考えていなかった。 敗戦後,昭和天皇はマッカーサーに 「私は自分が神だと思ったことは一度もない」 と語った。
#日本史の全体の概観 実際に政治権力を行使したのは 閣僚や大臣たちだが 一般人に対しては, 天皇は【国民の上に絶対的権威を有する神】であると示された。 支配階級は 一般人を服従させるために 天皇の神格を利用し 日本が行なった戦争も, 大臣や閣僚達ではなく 天皇の名のもとに行なわれた。
#日本史の全体の概観 戦前の天皇が 政治実務にあたってはいない件: 大日本帝国憲法には, 『国務各大臣は 天皇を輔弼[ほひつ,補佐]し 其の責に任ず。』 と記された。 講談社・百科事典によると 「これは実際上 政治責任は天皇にではなく, 大臣(閣僚)たちにあることを意味」していたとの事。
#日本史の全体の概観 幕府は12~19世紀の支配の後 1867年,大政奉還に踏み切る。 明治憲法で天皇は 「神聖にして侵すべからず」と規定された。 ところが,明治天皇に 政治的権威は与えられたものの 政治権力は無かった。 日本の統治者として君臨してはいたが 実務面で統治することはなかった。
#日本史の全体の概観 天皇は支配したか? 7世紀後半~9世紀初めを別にすると 歴代天皇は 実際には「統治」していない。 主に「宗教的な祭司」という存在であった。 そして9世紀以後 天皇の政治力はさらに弱まる。 天皇は,征夷大将軍を任命する身となったものの 実際の統治者は将軍であった。
#日本史の全体の概観 天皇が政治の実務を担った時期は短い: 「日本百科事典」から引用続 『日本の歴史において 天皇が長期に渡って 実際に(政治と宗教の)両方の役割を演じた唯一の時代は 7世紀後半の天智天皇の治世から 8世紀の終わりから9世紀の初めにかけての 桓武天皇の治世までであった』
#日本史の全体の概観 天皇本人は,政治権力というより 日本の『祭司』として存在してきた。 政治実務を果たしたのは摂政や閣僚たち。 「日本百科事典」から引用続: 『政策の立案と実施の両方を含め, 俗事に当たるのは 天皇に仕える輔弼[ほひつ,補佐]の任に当たる者たちの務めであった。』
#日本史の全体の概観 歴代天皇は,どこまで政治に関与したか? 「日本百科事典」から引用: 『天皇には,神々をなだめたり 執り成しをしたりする不思議な力があると考えられていた。 しかし 天皇が政事など俗事に関わるなどおそれ多い ともみなされていた』 つまり,主に宗教的な存在だった。
#日本史の全体の概観 戦時中の日本人は "天皇による救いの力" を信じ込んでいたため 大胆不敵であった…。 兵士たちは 「自分は神国の兵士だから 自分の体は銃弾をも跳ね返せる。」 と考えたり 日本の敗色が濃くなっても, 「神風が吹いて勝利できるので心配不要だ。」 との説明が繰り返された。
#日本史の全体の概観 創作日本神話「古事記」では 崇高な神々に対して 一般の人間達を 「地面から生え出てくる草」 【青人草】[あをひとくさ](茂る,人なる草) として扱っている。草扱いである。 戦時中の日本国民は "自分達は【青人草】であり 盾となり天皇を守る義務がある" と教え込まれた。
#日本史の全体の概観 戦前+戦時中のファシズム教育: 昭和天皇の写真が学校に掲げられ 生徒たちは毎朝その前で立ち止まり 最敬礼をするよう要求された。 子供達は 「天皇の顔を見たら目が見えなくなる」 と教えられていた。 そのため,車での行幸実施などの際は 目を合わせず最敬礼していた。
#日本史の全体の概観 世界の観点として 日本による軍事侵略の責任は 多分に天皇にあるとされている。 昭和天皇が亡くなった時の 米国ニューヨーク・タイムズ紙 社説から引用: 『(昭和)天皇は 高められた地位にあったのだから 世界に限りない惨事を 回避させようと思えばできたかもしれない。』
#日本史の全体の概観 先述の通り ファシズムが国家神道を利用し "神国たる日本の理念を世界に広める" 目的で 日本国は,天皇の是認のもとで 侵略戦争を引き起こした。 1930年代:満州や中国に進撃 1940:仏領インドシナに侵攻 1941:米国を襲撃 1945:原爆 「昭和=昭明なる平和」どころではない。
#日本史の全体の概観 「昭和」という元号の由来 ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD… 「昭明なる平和」 出典:四書五経の一つ書経堯典 (百姓[ひゃくせい]昭明にして萬邦[ばんぽう]を協和す) 誠に残念ながら,その意味とは真逆に 「Showa」特にその前半は ファシズムと大戦の悲劇の代名詞となってしまった。
#日本史の全体の概観 歴代の天皇の在位期間の長さランキング ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9… 1位 昭和天皇(第124代) 62年 2位 明治天皇(第122代) 45年 … 6位 推古天皇(第33代) 35年 … 11位 明仁上皇(第125代) 30年 ※明仁上皇は平成時代に天皇であった方で 令和元年時点で上皇と呼ばれる。
#日本史の全体の概観 天皇制の用語 ▶今上天皇[きんじょうてんのう] 在位中の天皇を指す用語。 例えば,令和時代の今上天皇とは 徳仁(なるひと)陛下のことを指す。 今上[きんじょう]だけで その時代における皇帝や天皇を指す語。 日本の天皇制では 「今上天皇,今上陛下」のように使われる。
#日本史の全体の概観 天皇陛下の一覧 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9… 第122代 明治天皇:睦仁(むつひと) 1867-1912 第123代 大正天皇:嘉仁(よしひと) 1912-1926 第124代 昭和天皇:裕仁(ひろひと) 1926-1989 第125代 平成時代:明仁(あきひと) 1989-2019 第126代 令和時代:徳仁(なるひと) 2019-
#日本史の全体の概観 天皇制の長さを巡る議論: 「世界最古」 ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96… ▶象徴天皇制は形式的だから「君主」と呼びづらいのでは?と,上記URLに書かれている。 (※ただし同種の"君主"は他国にも存在) ▶万世一系(皇統が同一系統で続くこと) 皇統が分裂した「南北朝時代」も存在
#日本史の全体の概観 世界の王朝の長さ 比較ランキング plaza.rakuten.co.jp/alex99/diary/2… 1位 日本国 (6世紀頃~) 西暦6世紀以降,王朝が交代した証拠がない。 少なくとも1500年以上続く世界最古の王家 2位 モナコ (1297年~) フランスの隣にある小国 3位 ブルネイ王国 (1405年~) マレーシアの隣
#日本史の全体の概観 日本の天皇制の長さは 史実では1500年間~。 神話では2600年間。 つまり 古事記・日本書紀などの創作神話においては, 史実よりも1100年分弱 サバを読んでいるわけだが そのサバ読んだ分を差し引いたとしても, 日本の天皇制の歴史は 世界最長であり, とても珍しい存在。
#日本史の全体の概観 天皇制の長さ: 少なくとも西暦500年ごろには 日本の天皇制は存在していた ということになる。 つまり,天皇制は (創作神話では2600年間とされるが) 史実として,現在まで1500年間にも渡り 存続してきた。 じつは,この長さは 王朝・世襲君主制として世界最長である。
#日本史の全体の概観 どの天皇が最初に実在したかは 下記のように諸説ある。 (1) 第10代 崇神天皇 (前97年~) (2) 第15代 応神天皇 (270年~) (3) 第26代 継体天皇 (507年~) ※「紀元前660年の第1代・初代から今まで2600年間続いている」という説は 史実の学説として取り扱われることはない。
#日本史の全体の概観 日本史上,2600年以上にわたり 124代目の天皇である昭和天皇まで 天皇は神とみなされてきた (と戦時までの日本では信じられていた。) ただし現在では,系譜の中で 初期の天皇は 伝説的存在(架空の存在)だと認められており 少なくとも西暦5世紀ごろ以降の天皇は実在の人物。
#日本史の全体の概観 天皇の「人間宣言」は 日本国民に深刻な大ショックをもたらした。 " かつては顔を上げて見ることさえできないほど おそれ多い方だった天皇陛下が, 実は神などではなかった " … 天皇は神格を有する,という 昔からの信条を捨てるのは 敗戦後の日本人にとって難題であった。
#日本史の全体の概観 日本人にとって昔から深く根付いてきた その曖昧な宗教観念が 明確に否定されたのが,敗戦と 続く年の「人間宣言」。 天皇は 『天皇をもって現つ御神[あきつみかみ]とする 架空なる観念』を 国民の前で否定。 その観念の元は「単なる神話と伝説」である と述べたのだった。
#日本史の全体の概観 日本人に根深い,曖昧でごっちゃな宗教観: 日本宗教史を専門とする 逵[つじ]氏はこう述べている。 『庶民にとっては,神も仏もない。 五穀豊穣[ほうじょう]・ 疫病除去・ 家内安全といった 願いを聞いてくれるならば, 神であってもよいし 仏であってもよいのである。』