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『#拾遺和歌集』恋 収載の #藤原朝忠 の #百人一首 歌「逢ふ事の…」歌の次に置かれた歌は #平兼盛 の 題知らず のこちら 👇 逢ふ事は かたゐざりする みどり児(ご)の たゝむ月にも 逢はじとやする (逢う事が困難😧ハイハイする乳児が立つであろう月にも逢うまいとするのですか?) " かたゐ "←は
『#拾遺和歌集』恋 収載の #藤原朝忠 の #百人一首 歌「逢ふ事の…」歌の前に置かれた歌は 題知らず よみ人知らず この歌も #源等 の娘の自裁事件の関連歌として読む歌だと思う。 👇 恋と言へば 同じ名にこそ 思ふらめ いかで我が身を 人に知らせむ (恋と言えば同じ言葉のように思う場合においてこ
『#拾遺和歌集』恋 収載の #藤原朝忠 の #百人一首 歌「逢ふ事の…」歌の前に置かれた歌は 題知らず よみ人知らず この歌も #源等 の娘の自裁事件の関連歌として読む歌だと思う。 👇 恋と言へば 同じ名にこそ 思ふらめ いかで我が身を 人に知らせむ (恋と言えば同じ言葉のように思う場合においてこ
#百人一首 44 『拾遺和歌集』恋 収載の #藤原朝忠 50歳の時の歌 定家 が敦忠の「逢ひ見ての…」の歌の次に朝忠の歌を採っているのは関連歌として読めるからだと思う。 詞書は 天暦御時歌合=960年4月の #村上天皇(35歳)が行った天徳内裏歌合に 👇 逢ふ事の 絶えてし なくは 中々に 人をも身をも 怨
#百人一首 44 『拾遺和歌集』恋 収載の #藤原朝忠 50歳の時の歌 定家 が敦忠の「逢ひ見ての…」の歌の次に朝忠の歌を採っているのは関連歌として読めるからだと思う。 詞書は 天暦御時歌合=960年4月の #村上天皇(35歳)が行った天徳内裏歌合に 👇 逢ふ事の 絶えてし なくは 中々に 人をも身をも 怨
#百人一首 43 #藤原敦忠(時平の3男)の歌は『#拾遺和歌集』恋 収載 百人一首歌人の #右近 の恋人だったようで、後に別れたらしい #源等 の娘は敦忠の妻の1人で彼女との間には息子1人を授かっている。 👇 逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物も 思はざりけり (彼女と逢見て契り 関係を結んだ後の